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更新日:2024年11月28日
令和2年6月に日本遺産に認定された「砂糖文化を広めた長崎街道~シュガーロード~」を、パネル展示で紹介するイベントがアクロス福岡で開催されます。
以前開催したパネル展の様子
砂糖文化が広まった長崎街道の歴史や、シュガーロード連絡協議会に加盟している自治体を紹介するパネルやリーフレットを展示しています。ぜひお越しください。
詳しくは、「シュガーロード連絡協議会ホームページ」(外部サイトへリンク)、または「アクロス福岡ホームページ」(外部サイトへリンク)をご覧ください。
とき:2024年12月2日(月曜日)~12月8日(日曜日)10時00分~18時00分(初日12時00分から最終日16時00分まで)
場所:アクロス福岡コミュニケーションエリア(〒810-0001福岡県福岡市中央区天神1丁目1番1号)
江戸時代、いわゆる「鎖国」政策がとられた中でも、長崎では出島を通じてオランダと、唐人屋敷を通じて中国と貿易を行っていました。
長崎にもたらされた大量の砂糖は船で大坂まで運ばれ、全国に流通しましたが、長崎から佐賀を通って小倉へと続く「長崎街道」は、九州藩の長崎警備や参勤交代、オランダ商館長の江戸参府など、様々な人やモノが往来する街道として栄えました。街道沿道は砂糖のほか、菓子作りの技法なども入手しやすかったため、長崎カステラを始め、全国的にも有名な名菓が生まれるのです。
南蛮から伝わった菓子は、それまでの和菓子とは違い、砂糖をふんだんに使うもの。この伝来により、菓子の世界に革命が起こり、長崎街道を中心に、砂糖文化が各地の文化と風土を取り入れ、個性ある味と花開きました。そのため長崎街道は、砂糖の道「シュガーロード」とも呼ばれており、今なおその技術と味は受け継がれています。
なお、飯塚市は「内野宿」と「飯塚宿」という長崎街道の宿場町があったことから多くの人が行きかいました。
そのシュガーロードの歴史と文化を活かし、西九州一体の地域の活性化を目指して、2008年、長崎街道「シュガーロード連絡協議会」が設立されました。現在、3県(長崎、佐賀、福岡)の8市(長崎市、諫早市、大村市、嬉野市、小城市、佐賀市、飯塚市、北九州市)が加入しており、シュガーロードに関する情報の交換やPRなどを行なっています。
詳しくは、シュガーロード連絡協議会ホームページ(外部サイトへリンク)をご覧ください。
令和2年6月19日(金曜日)に「砂糖文化を広めた長崎街道~シュガーロード~」が日本遺産に認定されました。
長崎市はこれまで、諫早市、大村市、嬉野市、小城市、佐賀市、飯塚市、北九州市の7市とシュガーロードに関するストーリーについて、日本遺産への申請を行ってきていました。
地域の有形・無形の文化財群を通じて我が国の文化・伝統を語るストーリーを文化庁が「日本遺産」として認定し、国内外に発信することにより、自立的な地域の活性化を図ることを目的としています。
詳しくは、日本遺産ポータルサイト(外部サイトへリンク)をご覧ください。
室町時代末頃から江戸時代、西洋や中国との貿易で日本に流入した砂糖は、日本の人々の食生活に大きな影響を与えた。なかでも、海外貿易の窓口であった長崎と小倉をつなぐ長崎街道沿いの地域には、砂糖や外国由来の菓子が多く流入し、独特の食文化が花開いた。現在でも、宿場町をはじめ、当時の長崎街道をしのばせる景観とともに、個性豊かな菓子が残されている。
輸入砂糖や菓子と関わりの深い長崎街道「シュガーロード」をたどると、長崎街道の歴史だけでなく、400年以上もの時をかけて発展し続ける砂糖や菓子の文化に触れることができる。
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